第1回 諏訪神社
行田公園円形道路東側に行田町会の活動拠点として使用させていただいている「諏訪神社」があります。社格は旧村社で、正式名称を「諏訪稲荷合殿神社」といいます。
”合殿(あいどの・あいでん)”とは、一つの社殿に二柱以上の神様を合祀しているという意味です。諏訪稲荷合殿神社の場合は、長野県諏訪大社の祭祀である健御名方命(タケミナカタノミコト)と、京都府伏見稲荷大社の主祭神である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト いわゆる”お稲荷様”)が祀られています。
江戸時代初期に行徳・田尻から入植して開墾された行田新田の鎮守として諏訪神社が勧請され、一方の稲荷神社は行徳から明和2年(1765)に勧請され祀られていたそうです。
「塚田村誌」に以下の記述があります。
諏訪神社ハ行田新田字宮ノ後四〇一番地ニ在リ。健御名方命ヲ祭ル。行田新田開墾当時ノ守護神ニシテ、毎年十月廿三日大祭ヲ行フ。
「塚田村誌」より
<中略>
稲荷社ハ行田新田開墾功労者、行徳町田中武兵衛氏ノ守護神ナリシヲ明和二年九月(百五十余年前)、当地ニ奉遷セシモノニシテ、同区服部家ニ於テ当時ノ書類ヲ保管シ、且ツ年々ノ祭ヲ行ヘリ。
江戸時代には別々に所在していたこれら二つの神社が、明治初年に合社して合殿神社となったそうです。
なお、健御名方命はその読み「ミナカタ」が「水方(水潟)」に由来する、諏訪湖の水の神です。延宝年間(1670年代)に開墾された行田新田は、台地面の上(※)という地理的特性の故に水の利がよくなかったことから、水に恵まれるよう健御名方命を御祭神とする諏訪大社へ勧請したといわれています。
(※) 『行田町会エリアマップ』で背景地図を”陰影起伏図”にしてみてください
昔はここでお祭りがあったんだよなぁ。
懐かしい…